WELCOME TO HELL(自己紹介③)
WELCOME TO HELL
私の学年は十一クラスありました。そのうち一組と二組が特別進学クラス(通称特進)、十組と十一組は二類進学クラス(通称スポクラ)でした。
私は一組、特進。
「希望していないのに・・・。」
入学式の時、先生に
「クラス、下げられませんか?」
と言いに行きました。
しかし答えは
「とりあえず一年は頑張ってみて」
とのことでした。
そこから不快で愉快な一組ライフが始まるのでした。
特進の男子は八人程度で、教室は他のクラスから少し離れたところにありました。
この男子達がなかなかの曲者ぞろいで、毎日私たちはおもしろいものを求めていました。
くしゃくしゃにする友達の書類は大事なものほどおもしろい、
先生の質問は逆に本気で手をあげる方がおもしろい、
「特進なのに」バカであるほどおもしろい。
常に自分たちを客観視しておもしろさを作っていました。
草陰から出てきた腐った弁当箱が学年主任に見つかったこととか、みんなで行った焼肉屋で牛タンを二十七人前食べて胃が壊れそうになったこととか
今でも思い出して笑えることばかりです。
しかしその反面、
火、水、木曜日は七時間授業+補習授業で学校が終わるのは午後六時半という生活でした。
これは大好きな吹奏楽ができないことを意味していました。
六時半から練習に行ってもついていけないことを知り、私は吹奏楽を、音楽家の夢を諦めました(今思えば他にも音楽家のなりかたはたくさんあったのになぁ)。
勉強は大好きだけど授業が嫌いな私は[嫌いな先生の授業]にアレルギー反応のようなものを示していました。
意地ではなく、「無理!!!!!!!」と体が拒否する感じでした。
そんな生活に耐えきれなくなった私は進級の際、普通クラスへの移動を希望しました。
二、三年生の間は何をしていたかというと、バイトと漫画と映画と生徒会です。
生徒会では一年生で議長、二年生で会長をやりました。
まだ自分がリーダーに向いていると錯覚していた時期です。二年だか三年だかで、ストレス性の胃炎になりました。
その時は家も学校もガタついていた時期で、逃げ場がなく、体が先に音をあげたのだと思います。
無理だと思ったら逃げていい。そんなことを学んだ胃痛でした。
二年生の秋の帰り道、(当時ロードバイクに乗っていたのですが)自転車でこけて右目の上を四針縫いました。
猛スピードの下り坂で、片手に持っていた袋が前輪に引っかかって高く高く飛んだ私は顔から着地しました。今でも眉毛を整えるたびに思い出します。
文字通り転げながら生きてきたのですが、高校三年生の卒業手前の期間、ランドセルを集めてアフガニスタンの子供達に送るなんてこともしていました。