(元)ホームレスの国際協力バカ大学生の毎日

Table For Two University Association代表。桜木花道に憧れた少年は5年経って途上国に給食を届ける大学生になりました。ずっとこどっこいの私が送るどったんばったんの日常をお送りします。

【事故】大学1年生がマレーシアで土砂崩れに呑まれた話

 

11月の雨が窓に当たるのを見ながら、私はぼんやりとあの日のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

大学一年生の春、なんとなく顔を出した学生団体合同説明会の会場で元気に話す彼女に出会った。

よく通る綺麗な声をした彼女は、海外ボランティアの参加者を集めていた。

マレーシアの魅力を話す彼女の姿に惹かれ、私はマレーシアワークキャンプへの申し込みを決めた。

 

 

 

バイトで参加費を稼ぎ、出国したのは2017年の夏。

猛暑から逃げるようにマレーシアのボルネオ島へ旅立った。

 

 

初めて会う人達と行くキャンプに若干の緊張もあったが、楽しみの方が大きかった。

プログラムは日本人とマレーシア人の青年とで行われる児童養護施設へのワークキャンプだった。

 

 

このプログラムの中には2日間のホームステイがあった。

 

 

 

ホームステイはキャンパー同士が仲良くなってきた頃に行われ、日本とは一味違う生活が体験できるとともに、ホストファミリーと深いコミュニケーションが楽しめる。

 

 

 

私達も何人かの班に別れ、それぞれのホストファミリーのもとへ向かった。

 

 

私のホストファミリーは親戚と同じ敷地に住んでいて、日中は誰がどの子供なのかわからないくらい人の出入りが激しい

(マレーシアの田舎ではよくあることだそうだ。)

 

 

私達のホストマザーは料理が上手で、とっても優しい人だった。

 

子供達が駆け回るのを温かい目で見守り、私達の拙い英語にも耳を傾けてくれた。

晩御飯をみんなで囲み、小さな電灯の下で丸くなった。

 

 

とても美味しいご飯だった。

 

 

 

 

 

 

 

翌日、私達は教会に行った後、山の上のレジャー施設に向かった。

その日のスケジュールは全てマザーがセッティングしてくれた。

 

 

 

移動は小さなバンだった。

 

明らかに定員オーバーの13人を乗せバンは教会を背にして山を登っていく。

ホストマザーは助手席でナビをしていた。私は1番後ろの席に座っていた。

 

 

 

途中、少しずつ雨が降り出した。

 

 

だんだん強くなってきたが、車を止めて休むところもないのでそのまま目的地まで向かうことになった。

レジャー施設といっても小さなコンクリートの建物が1つあるだけなのだが、そこへ到着すればとりあえずは落ち着く。

スコールだから雨もすぐ止むだろうと思っていた。

 

 

 

高くから降る雨は勢いよく地面にあたり、雫を光らせていた。

 

 

 

 

f:id:YotaroKawauchi:20181121130708j:plain

レジャー施設に向けて走る車



 

 

 

 

 

 

 

だんだんと山道を登っていくと、いよいよコンクリートではなく土の道になった。

少々の悪路だがドライバーも慣れている人だったので安心していた。

 

 

 

 

そして私達は1本の川に差し掛かった。

実はその川は上流からの土砂崩れによって一時的に発生したものだった。

 

f:id:YotaroKawauchi:20181121120427j:plain

雨が止んだ後に撮った写真である

 

 

運転手はアクセルを踏んだ。

車は川にザブンと入った後のろのろと進んだ。

 

私達はなんだかワクワクしていた。

水位はまだタイヤの半分ほどだったし、なんだかその揺れと緊張感はテーマパークのアトラクションのようだった

 

 

 

しかし川の中盤に差しかかろうとした時、車は止まった。

 

運転手は

「大丈夫大丈夫」

と言いながら、エンジンかけようと何度か鍵を回した

私達はまだワクワクしていた。

 

 

 

 

なかなかエンジンはかからない。

運転手が少し顔を曇らせた。

 

私達はそこで初めて怖くなった。

水位はどんどん上がっていく。

川の流れに対して横向きの車の窓にはどんどん水面が近づいてきた

f:id:YotaroKawauchi:20181121115306j:plain

車内から撮影した写真

 

 

その水面が窓に触れようとした時、運転手が

「逃げろ!!!!」

と大きな声で言った。

 

 

 

 

2列目の座席にいた友達が何人か降りた。

 

水面は腰より高く迫り、勢いに押され下流に流されていく友人を私は後部座席から見ていた。

 

 

何が何だかわからなくなってきた。

車も川の力に負けて、徐々に傾いてきている。

 

 

気づけば車の中にはともう1人の日本人の友達小さなホストシスターだけだった。

 

 

私は左側の扉から出た瞬間、その流れに負けた。

もう水位は腰よりも高く、私はあっという間に流された。

 

 

 

すぐさまバスのナンバープレートの近くのパイプをつかんだ。

川の流れを受けながら、必死にそのパイプを掴み、顔を水面から上げた

 

 

 

強い雨は槍のように降り注ぎ、目の前の景色さえよく見えなかった。

メガネと靴が流された

 

 

「助けて!!!!!!」

と叫んだ。

何度も叫んだ。

 

 

走馬灯なんて見えなかった。

 

 

 

叫んだところで、あっと驚く脱出劇も思い浮かばない。

助けに来てくれるヒーローもいない。

 

 

 

私は少し冷静を取り戻し、近くの枝を見た。

 

 

跳べるかどうかを考える時間はなかった。

 

バスの後ろににじり寄り、枝めがけて水底を蹴った

 

 

 

 

落ちてくる雫は私達をあざ笑うかのように水面にはねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

助手席に乗っていたホストマザーを次に見たのは岸の上だった。

 

内出血をしているらしく、左脇腹を抑えながら苦しい顔をしていた。

 

 

ホストマザー、シスター、私、もう1人のキャンパーだけがレジャー施設とは反対側の岸。

 

流されていった他の子達は下流で助けられ、対岸にいた。

 

 

 

マザーを雨の当たらない場所に運んだ。

とっさに取り出したキャンプのしおりに書いてある携帯電話は繋がらない

 

 

 

「何十万円かかってもいい。頼むから繋がってくれ。」

 

その願いは天に届かず、私達はどこまでも諦め掛けていた。

そこで、対岸にリーダーらしき姿が見えた。

 

 

 

メガネが流された私だったが、その声は確かにあの時の説明会で聞いた声と同じだとわかった。

雨の中でも、よく通る綺麗なだった。

 

彼女に救急車を呼ぶように頼み、ホストマザーの元へ戻った。

f:id:YotaroKawauchi:20181121130823j:plain

ホストマザーを休ませていた場所



 

ホストマザーの目はだんだん力が弱まっていき、

唇は青ざめていった。

 

 

このままではいけないと思った私は必死に彼女を起こそうとした

意識をはっきりさせようと声をかけた。

 

 

ホストシスターの小さな手が、それを止めた。

「ママはゆっくり休んでいるから、無理に起こさないで」

そう言っている目だった。

 

 

 

私は、呼びかけるのをやめてしまった。

肩に置いた手を弱々しくひっこめた。

 

ただただシスターに

「大丈夫、ママは助かるから」

と繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

搬送先の病院で、彼女の死亡が確認された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、果てしなく暗い闇の中に堕ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本に帰ってから、私は防災士救急法救急員の資格を取った。

その年の冬にはTable For Two University Associationという学生団体の代表になった。

 

 

 

 

 

今でも、あの時何をすれば良かったのか分からない。

 

 

私が殺したという罪悪感は消えない。

 

 

死ぬことより生き延びてしまったことの方が何倍も辛い。

 

 

 

 

思い出して泣いてしまうこともある。

私が思っている以上に、深く鮮明な傷になっていることは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、私は生きている。

 

 

学生団体という小さな世界で、なんとか頑張れている。

途上国の子供達に給食を届ける活動をしている。

 

 

 

 

あんな悔しい思い、もうごめんだ。

 

 

つらいときに何度も思う。

 

どん底ならもう見てきた。

 

 

この先どんに辛いことが起ころうと、立ち上がれるような気がする。

情けない自分を、許せるようになる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づけば雨はもう止んで、雲間から薄い光が差していた。

11月の涼しい風が、窓の外を走っていた。

 

 

 

 

 

河内陽太郎

 

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【事故】大学1年生がマレーシアで土砂崩れに呑まれた話

 

11月の雨が窓に当たるのを見ながら、私はぼんやりとあの日のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

大学一年生の春、なんとなく顔を出した学生団体合同説明会の会場で元気に話す彼女に出会った。

よく通る綺麗な声をした彼女は、海外ボランティアの参加者を集めていた。

マレーシアの魅力を話す彼女の姿に惹かれ、私はマレーシアワークキャンプへの申し込みを決めた。

 

 

 

バイトで参加費を稼ぎ、出国したのは2017年の夏。

猛暑から逃げるようにマレーシアのボルネオ島へ旅立った。

 

 

初めて会う人達と行くキャンプに若干の緊張もあったが、楽しみの方が大きかった。

プログラムは日本人とマレーシア人の青年とで行われる児童養護施設へのワークキャンプだった。

 

 

このプログラムの中には2日間のホームステイがあった。

 

 

 

ホームステイはキャンパー同士が仲良くなってきた頃に行われ、日本とは一味違う生活が体験できるとともに、ホストファミリーと深いコミュニケーションが楽しめる。

 

 

 

私達も何人かの班に別れ、それぞれのホストファミリーのもとへ向かった。

 

 

私のホストファミリーは親戚と同じ敷地に住んでいて、日中は誰がどの子供なのかわからないくらい人の出入りが激しい

(マレーシアの田舎ではよくあることだそうだ。)

 

 

私達のホストマザーは料理が上手で、とっても優しい人だった。

 

子供達が駆け回るのを温かい目で見守り、私達の拙い英語にも耳を傾けてくれた。

晩御飯をみんなで囲み、小さな電灯の下で丸くなった。

 

 

とても美味しいご飯だった。

 

 

 

 

 

 

 

翌日、私達は教会に行った後、山の上のレジャー施設に向かった。

その日のスケジュールは全てマザーがセッティングしてくれた。

 

 

 

移動は小さなバンだった。

 

明らかに定員オーバーの13人を乗せバンは教会を背にして山を登っていく。

ホストマザーは助手席でナビをしていた。私は1番後ろの席に座っていた。

 

 

 

途中、少しずつ雨が降り出した。

 

 

だんだん強くなってきたが、車を止めて休むところもないのでそのまま目的地まで向かうことになった。

レジャー施設といっても小さなコンクリートの建物が1つあるだけなのだが、そこへ到着すればとりあえずは落ち着く。

スコールだから雨もすぐ止むだろうと思っていた。

 

 

 

高くから降る雨は勢いよく地面にあたり、雫を光らせていた。

 

 

 

 

f:id:YotaroKawauchi:20181121130708j:plain

レジャー施設に向けて走る車



 

 

 

 

 

 

 

だんだんと山道を登っていくと、いよいよコンクリートではなく土の道になった。

少々の悪路だがドライバーも慣れている人だったので安心していた。

 

 

 

 

そして私達は1本の川に差し掛かった。

実はその川は上流からの土砂崩れによって一時的に発生したものだった。

 

f:id:YotaroKawauchi:20181121120427j:plain

雨が止んだ後に撮った写真である

 

 

運転手はアクセルを踏んだ。

車は川にザブンと入った後のろのろと進んだ。

 

私達はなんだかワクワクしていた。

水位はまだタイヤの半分ほどだったし、なんだかその揺れと緊張感はテーマパークのアトラクションのようだった

 

 

 

しかし川の中盤に差しかかろうとした時、車は止まった。

 

運転手は

「大丈夫大丈夫」

と言いながら、エンジンかけようと何度か鍵を回した

私達はまだワクワクしていた。

 

 

 

 

なかなかエンジンはかからない。

運転手が少し顔を曇らせた。

 

私達はそこで初めて怖くなった。

水位はどんどん上がっていく。

川の流れに対して横向きの車の窓にはどんどん水面が近づいてきた

f:id:YotaroKawauchi:20181121115306j:plain

車内から撮影した写真

 

 

その水面が窓に触れようとした時、運転手が

「逃げろ!!!!」

と大きな声で言った。

 

 

 

 

2列目の座席にいた友達が何人か降りた。

 

水面は腰より高く迫り、勢いに押され下流に流されていく友人を私は後部座席から見ていた。

 

 

何が何だかわからなくなってきた。

車も川の力に負けて、徐々に傾いてきている。

 

 

気づけば車の中にはともう1人の日本人の友達小さなホストシスターだけだった。

 

 

私は左側の扉から出た瞬間、その流れに負けた。

もう水位は腰よりも高く、私はあっという間に流された。

 

 

 

すぐさまバスのナンバープレートの近くのパイプをつかんだ。

川の流れを受けながら、必死にそのパイプを掴み、顔を水面から上げた

 

 

 

強い雨は槍のように降り注ぎ、目の前の景色さえよく見えなかった。

メガネと靴が流された

 

 

「助けて!!!!!!」

と叫んだ。

何度も叫んだ。

 

 

走馬灯なんて見えなかった。

 

 

 

叫んだところで、あっと驚く脱出劇も思い浮かばない。

助けに来てくれるヒーローもいない。

 

 

 

私は少し冷静を取り戻し、近くの枝を見た。

 

 

跳べるかどうかを考える時間はなかった。

 

バスの後ろににじり寄り、枝めがけて水底を蹴った

 

 

 

 

落ちてくる雫は私達をあざ笑うかのように水面にはねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

助手席に乗っていたホストマザーを次に見たのは岸の上だった。

 

内出血をしているらしく、左脇腹を抑えながら苦しい顔をしていた。

 

 

ホストマザー、シスター、私、もう1人のキャンパーだけがレジャー施設とは反対側の岸。

 

流されていった他の子達は下流で助けられ、対岸にいた。

 

 

 

マザーを雨の当たらない場所に運んだ。

とっさに取り出したキャンプのしおりに書いてある携帯電話は繋がらない

 

 

 

「何十万円かかってもいい。頼むから繋がってくれ。」

 

その願いは天に届かず、私達はどこまでも諦め掛けていた。

そこで、対岸にリーダーらしき姿が見えた。

 

 

 

メガネが流された私だったが、その声は確かにあの時の説明会で聞いた声と同じだとわかった。

雨の中でも、よく通る綺麗なだった。

 

彼女に救急車を呼ぶように頼み、ホストマザーの元へ戻った。

f:id:YotaroKawauchi:20181121130823j:plain

ホストマザーを休ませていた場所



 

ホストマザーの目はだんだん力が弱まっていき、

唇は青ざめていった。

 

 

このままではいけないと思った私は必死に彼女を起こそうとした

意識をはっきりさせようと声をかけた。

 

 

ホストシスターの小さな手が、それを止めた。

「ママはゆっくり休んでいるから、無理に起こさないで」

そう言っている目だった。

 

 

 

私は、呼びかけるのをやめてしまった。

肩に置いた手を弱々しくひっこめた。

 

ただただシスターに

「大丈夫、ママは助かるから」

と繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

搬送先の病院で、彼女の死亡が確認された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、果てしなく暗い闇の中に堕ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本に帰ってから、私は防災士救急法救急員の資格を取った。

その年の冬にはTable For Two University Associationという学生団体の代表になった。

 

 

 

 

 

今でも、あの時何をすれば良かったのか分からない。

 

 

私が殺したという罪悪感は消えない。

 

 

死ぬことより生き延びてしまったことの方が何倍も辛い。

 

 

 

 

思い出して泣いてしまうこともある。

私が思っている以上に、深く鮮明な傷になっていることは確かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、私は生きている。

 

 

学生団体という小さな世界で、なんとか頑張れている。

途上国の子供達に給食を届ける活動をしている。

 

 

 

 

あんな悔しい思い、もうごめんだ。

 

 

つらいときに何度も思う。

 

どん底ならもう見てきた。

 

 

この先どんに辛いことが起ころうと、立ち上がれるような気がする。

情けない自分を、許せるようになる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づけば雨はもう止んで、雲間から薄い光が差していた。

11月の涼しい風が、窓の外を走っていた。

 

 

 

 

 

河内陽太郎

 

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アルバイト革命!プロジェクト リーダーとして

アルバイト革命!プロジェクト

リーダーとして

 

夜の空には数えられるほどしか星がなかった。

その日、私は大学の近くの公園にいた。

 

なぜか?

簡単だ。家がなかったからだ。

当時私はホームレスだった。

 

学生団体の活動に熱を入れすぎた私は、ついに家賃を払うだけのお金を用意できなくなりホームレスになった。

 

まだ五月だというのに猛暑のニュースが流れる。

暑い夏だった。

食費は一ヶ月で千円あまり。

三十時間に一度、百八円のカップラーメンを食べた。

 

当時の私はまるで活力がなく、生活を立て直そうという気力すら弱まっていくほど憔悴していた。

 

 

やりたいことをやるために

やるべきことを果たすために

見たいものを見るために

助けたい人を助けるために

 

お金は必要なのだ。

 

 

時間を切り売りする時給制のアルバイトに限界はあるが夢がない。

 

それを見た私は「改善の余地があるはずだ。」と思った。

 

だから開発した。

決して一人でではない。目の前に来たものに必死に食らいついてきた成果と、素晴らしい方々との出会いによってだ。

 

[アルバイト革命!]でのアルバイトは営業を基本とした歩合制バイトだ。

 

一件の契約につき三万円の報酬がでる。

今までにないくらい、高いお給料だ。

 

私が本気で全国の夢見る貧乏大学生の背中を押したいと思っていることをわかってほしい。

 

その辛さを知っているからだ。

同じ苦しみを味わってほしくないからだ。

 

そして、学生の持つエネルギーは時に予想値を凌駕し、人を驚かせることがある。

そんな学生の可能性に、何度だって夢を見させてはくれないだろうか。

 

このアルバイト革命!によって幸せを掴む大学生が増えてほしい。

 

 

アルバイト革命!プロジェクトリーダー

河内陽太郎

 

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防災士・救急法救急員として

防災士救急法救急員として

 

 

「土砂崩れに飲まれたことはありますか??」

 

 

「目の前で人が死んだことはありますか??」

 

 

二〇一七年の夏、初めてマレーシアを訪れた私は、ホストマザー含む何人かと一緒に車ごと土砂崩れに呑み込まれた

 

後から調べたら、それは四km四方の狭い範囲でのスコールだった。

 

叩きつけるような雨は視界と音を遮るほどだ。

雨によってできた川を渡ろうとした小さなバンは川の途中で動かなくなった。

 

次第に川の水位は増えていった。

「逃げろ!!!」

の合図とともに飛び出した何人かはあっという間に川に流されていき、遅れて出た私はバンのナンバープレートにしがみついた。

鯉のぼり状態だ。

勢いよく流れゆく水に靴と眼鏡を流されながら、

「助けて!!!!!!」

と大きな声で叫んだ。

 

やっとの思いで枝にしがみついて上がった岸には横たわるホストマザーの他に彼女の娘と日本人の友達しかいなかった。

 

ほどなくして、川辺でホストマザーは亡くなった

 

搬送先の病院で、私も注射を打ち足に刺さった針を抜いた。

 

絶望のどん底だった。

 

生き延びてしまったことが、死ぬことより辛い思いだった。

 

なんの知識も術も持たなかった私は、悔やみ続けた。

 

あの時彼女にすべきことはなんだったのだろう。

なぜ何もできなかったのだろう。

 

そんな思いが頭の中をぐるぐるぐるぐる回った。

 

日本に帰ってきて、私は防災士と救急法救急員の資格を取った。

 

 

辛い思い出が蘇ってくることもあったが、防災士の勉強は私にとって楽しいものだった。

特に災害史の部分に強く興味を持ち、たくさん勉強した。

 

今では、学生向けに防災講演をしたり、企業向けの災害マニュアルを作ったりしている。

 

彼女が死んで、私が生き残ってしまった意味を見つけたわけではない。

 

それを今も探し続けている。

 

 

 

 

防災士/救急法救急員

河内陽太郎

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YogaYo!代表として

YogaYo!代表として

 

日本には学生団体がたくさんある。

しかし学生団体に明確な定義はない。

立ち上げに申請も必要ない。

 

私なりに定義づけるならば、

 

「社会の中で何かしらの問題意識を持ち、それに対する活動を行う学生を中心とした人の集まり」だ。

 

 

学生団体の海に飛び込んでから一年半が経った。

学生団体は同じ意思を持った者の集まりとしてだけではなく、行き場を失い彷徨う大学生の受け皿ともなっている。

 

 

学生団体YogaYo!という学生団体がをつくった。

読み方はヨガヨー!。

どう頑張ってもカッコつかない名前にした。

 

すべての人がおだやかですこやかなる生活を送ることのできる社会の実現を目指して活動する学生団体だ。

ヨーガの精神が根底にある。

 

この学生団体はヨガをしながら社会を変えようと奮闘する学生の集まりだ。毎週火曜日に集まってヨガをする。その後希望者はチームに分かれてmtgをする。

 

与えられた期間は半年、この間にプロジェクトを成功させるためmtgを重ねる。

 

国際協力、学生支援、イベント企画、ツアー運営など様々。場所も時間も目的もお金もイチから揃える。

 

自分のやってみたいことをやるには、時間とお金と仲間と場所とチャンスが必要だ

その全部が偶然によって揃えられることはほぼない。

 

チャンスを待っているうちに四年は終わる。

 

学生時代に挑戦も失敗もしたことのない人が、社会に出て何かに挑戦することができるのだろうか?

 

 

学生時代に学ぶべきことは

 

“転ばないように社会を歩く術”でも“諦める理由を作る言葉”でもない。

“失敗の経験”だ。

 

そして、学生は本当に失敗してはいけない状況で、失敗しないための練習期間だと思う。

 

だから私たちがいくら失敗してもいいように、校舎が、先生が、先輩が、友達が、地域が、国が守ってくれている。

 

挑戦無くして失敗なし。

 

私は挑戦できる環境を社会にひとつでも増やしたい。

 

しかし、

失敗は悪だと、

恥ずべきことだと

 

勘違いしている大馬鹿者が多い世の中で、先頭に立ってのたうちまわるのはとっても勇気がいることだ。

 

そんな中でも、仲間がいれば怖くない。

 

失敗と、それを隣で支えられる環境をこの学生団体YogaYo!でつくる。

 

 

「カッコつけずに生きよーや!」

 

 

学生団体YogaYo!代表

河内陽太郎

 

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TFT-UA代表として

TFT-UA代表として

 

Table For Two という活動を知っているだろうか。

少しだけ説明を聞いてほしい。

 

 

私たちは世界中のすべての人達と食料をシェアして生きている。

 

しかし左を見れば食べ物は余って肥満で困っている。

右を見れば食べ物は足りなくて飢餓で困っている。

世界の食料バランスが良くないことくらい誰にでも分かる。

 

私たちには危機感がない。

なぜか?

–それは私たちが“足りている側”だからだ。

 

この日本で飢餓状態になることはごく稀だ。

どれだけ食べてもまだ食料はある。

災害時、コンビニの店頭から食料がなくなることは“珍しいこと”として報道される。

 

 

常に店頭に食べ物が並んでいるからだ。

その内の何割かは食べられずに捨てられている。

 

 

同じ地球上に満足にご飯を食べられていない人は八億二千万人以上いる。

まるで実感が湧かない。

八億二千万人の人間が集まる様を目の当たりにしたことがないからだ。

 

しかし、その八億二千万人の中には私の友達も含まれている。

 

 

そのひとつひとつに命があり、心臓は動き、目は光を映し、喉は声を震わせ、耳は音を集め、人は生きている。

 

ひとつたりとも犠牲になっていい命などない。

生きていればお腹は減る。

喉は渇く。

学びたいと思う。

夢を抱く。

幸せになりたいと思う。

誰かに愛され、誰かを愛したいと思う。

 

 

それを許されないこと以上に悲しいことなんてあるのだろうか。

誰でも知っている。みんなで見て見ぬ振りをしている。

もう、やめにしないか。

 

 

人間の死亡率は100%だ。

その中で美しく輝く人生は花火のように美しく儚い。

 

生まれた環境によって、

自分以外の誰かに人生を握られては、

自分の人生の主語を他人においては、

ならない。

 

 

TFTが、この地獄の世界を打破するための解決策のひとつになることができれば幸いだ。

 

私は今TFTの学生連合(Table For Two University Association)の代表をしている。

 

私は、地獄の世界に終わりが来ると本気で信じている。

 

誰もが食料に困らない世界がくると信じている。

他の命を奪ってしか生きられない私達の罪の重さは、誰であれ同じだ。

 

同時に、人は愚かだと思う。

失敗を繰り返したり、自分は他人より優っていると言ったりする。

 

その愚かさは

神様が人間にくれた“ついたて”だ。

 

他の生き物と私たちを区別する“ついたて”だ。

 

その愚かさで、馬鹿げた理想を信じようと思う。

ありえないものを信じ続けようと思う。

 

地獄は、終わる。

 

Table For Two University Association代表

河内陽太郎

 

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エヴァンゲリオンのように

エヴァンゲリオンのように

 

午前八時は新宿の街もだんだんと朝の顔になり始め、道を歩くといつもより少し涼しい風が吹きます。夏休みもそろそろ終わりですね(もう学校始まっている方本当にすみません)。

この時期になると、

「あー、今年の夏あれやろうと思っていたのになー。」

なんてことをいくつも思い出してしまいます。

「時間ない!」

と言い訳してやらずにいることって、そのまま何年もやらぬままですよね。


だからといって

「できるうちに全部やろう!」

と一気に全部やろうとすると、そのしわ寄せを受ける人がどこかに生まれてしまうかもしれませんね。
バランスですね。

 

今日は私が「いつかやろうと思っていたこと」を書

きますね。


エヴァンゲリオン(アニメ)を全部見る
銀魂(アニメ)を全部見る
シャーロックホームズを全部読む
④地元の友達と小旅行する
小説を書く
⑥一人で文庫本と財布だけを持って遠くへ行く
ゴッドファーザーを全部見返す
ナルト(漫画)を全部読む
デビルマン(漫画)を全部読む
井上苑子のライブに行く


こうやってリスト化するのは大切なことですね。
皆さんもiPhoneのメモ帳でToDo管理をしているのでしょうか?

 

これは親父の教えなのですが、私は

「やるべきことは遠い順にやれ」

というToDo管理方法があります。
やらなければならないことを並べ、それを締め切りが近い順に並べた後、締め切りが遠い順に手をつけろいう教えです。
するとやってもやっても終わらない状況になります。
しかし終わった時には綺麗さっぱり全部終わっています。


せっかちな親父らしい教えです。
おかげで私もせっかちになりました。


残った時間は自分の時間別の仕事に使います。
今年の八月ごろ、私は本当に忙しくて切羽詰まっている時期がありました。

LINEの通知が止まらなくて、やることは山積みになっていて(どう考えても終わらない)、そんな時に限ってトラブルは起こり、睡眠時間を削るうちに精神はすり減って行きました。

 

そんな時、ふとTwitterFacebook(時には直接)で

「忙しいは言い訳!」

「本当に忙しい人は忙しいとか言わない!」

なんて言葉をみて本当に悲しい気持ちになっていました。


何が悲しいかというと、彼らは善意100%、キラキラな目で言っているということです!
自分の哲学はご立派ですが、

それを

「万人に当てはまるセオリーですよ」

といった顔で提言することは、遠くの誰かを傷つける可能性があります。


つまルところ、ToDo管理の方法なんて人それぞれです。あなたに合ったやり方を、状況に合わせて取り入れて行くことが大切なのではないかと思います。


先日、直木賞作家の朝井リョウさんがラジオでこんなことを言っていました。


SNSなどで自分の投稿が客観視できるようになった。私たちは自分を発見しすぎている。」


その通りだと思います。
私たちは自分を発見しすぎている。
今決めつけてしまえば、今後考えずに済むから、楽ではあるのですが。

 

私たちの頭の中にエヴァンゲリオンのようなしなやかさが求められているのかもしれませんね。
そんなことを思っているうちに、新宿の街にも人が増えてきました。

それではまた。


 

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れいでぃおのススメ

れいでぃおのススメ

 

こんにちは!台風接近中の賢者屋から陽太郎がお送りいたします!

大学二年生になってからハマっているもの。

それは「ラジオ」です。

正確にはニッポン放送で日曜日の二十二時半~二十三時に放送されている「高橋みなみ朝井リョウ ヨブンのこと」という番組が大好きです。

ラジオというのは私たちの世代にはあまり馴染みのないメディアですが、パーソナリティとの近さが生み出す、ある種閉鎖的な感覚があります。

お互いの顔は見えないし、「みんな知っているわけじゃないけれどわたしは大好き」という感じがします。

番組のタイトルの「ヨブンのこと」ですが、私は自分の人生の中身が「ヨブン」だらけだと思っています。

国際協力も地方創生もweb記事も学生団体も大学生も音楽も別に誰かにやれと言われたわけではありません。

ヒトの果たさなければならない使命は、突き詰めれば子孫を残すことだけです。

それなのに私たちは社会を構築し、needではなくwantで世の中を回してきました。

wantで出来上がったものの中に生まれるneedがニーズと呼ばれるものであり、それが仕事をうみます。(アルプスの山でチーズ作る人生もありだったなぁ。。。)

ここにいれば生きていけるのに、その先に何があるかわからないから、人は漕ぎ出してしまうのかもしれませんね。

窓の外を見れば台風手前の曇り空、嵐の前の静けさがありますが、こんな時ほどラジオは役に立ちます。

三・一一の時もテレビのほぼ全部のチャンネルが緊急災害報道に変わったにも関わらず東北全体ブラックアウト(停電)でした。情報が得られず高台に避難できなかった方々も多くいます。

皆さんも、この機会にラジオに触れてみてはいかがでしょうか?

 

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