(元)ホームレスの国際協力バカ大学生の毎日

Table For Two University Association代表。桜木花道に憧れた少年は5年経って途上国に給食を届ける大学生になりました。ずっとこどっこいの私が送るどったんばったんの日常をお送りします。

【大事件】尻、山口にて

 

尻、山口にて

九月二十四日~九月二十五日

 

 

山口に来た。

なんとこの夏二度目である。

今だから言うが南浦和からこんなに離れた場所に、一シーズンに二度も来ることになるとは思わなかった。

 

 

用があっても行くことをためらうくらいの場所だ。

しかしなぜこの私がこんな遠い場所に(経費も落ちないのに)二度も来たのか。

 

 

それは、私がすっかり山口県の虜になってしまったからである。

 

 

最初に来たのは八月の頭。

私の所属するTFT-UAのフィリピンスタディーツアーに申し込みをしてくれた山口県立大学の子三人に出張事前研修を行うためだ。

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私は(それが長距離であっても)直前まで移動手段の確認をしない大学生選手権ファイナリストである。

それによろしく今回も前日に確認したら夜行バスはもうなく、新幹線のチケットをとった。

 

 

実際山口くらいの距離になってくると夜行バスも新幹線も値段が変わらない。

 

 

今回も神に愛された私は様々なハプニングに見舞われながら十時間足らずの一人旅を満喫した。


 

 

はじめに。

 

 

そもそも今回の一人旅は偶然発生したのだ。

九月二十四日に行われると思っていた山口県立大学のスタツア報告会は実は九月二十五日だった。

 

 

入口から間違えた私はあり余った十時間を一人旅に使おうと決めた。なんだか最近気が滅入っていたし、一人旅なんてもう一年くらいしていない。好きなのに。

久しぶりに自分を見つめる時間を持つことが出来て、いい時間にしようと決めた。

 

 

ありがたいことに今年に入ってからずっと忙しくて、休みなんて一日もなかったが、事故的に発生した限定夏休みだった。結果的にとっても満足、最高の一人旅だった。

 

 

山口県はたくさんのものを見せてくれた。

 

 

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弁当の醤油に気づかないまま食べ終えたり、

「もうこの際山口で髪を切ってやろうか」と思い店に入ろうとしたらトリミングサロンだったりした。

 

 

その中でいくつか印象に残った出来事を記す。

 

 

流れ:五重塔瑠璃光寺→そば寿司→そばソフト→美術館→日本茶屋さん→足湯→ういろう→YCAM(ワイカム、山口市の情報芸術館)→スターバックス→泊めてくれる友達と合流

 

スターバックスの店員さん

 

 

なんと前回も行ったスタバの店員さんが私のことを覚えていてくれた!前回と全く同じ注文をした。「店員さんの一番好きなやつください」

と。

今回もとっても美味しかった。

 

 

 

②おてもとと尻

 

 

行きの新幹線で駅弁を食べた。

手で食べられる巻物だったので、おてもとお手拭きセットは使わずに持っていた。

 

 

そしてそこから十二時間以上経った夜九時。山口駅のトイレで事件は起きた。

 

 

紙がない。

紙はおろか、ペーパーホルダーもない。

 

 

罠だ。

しまった。

 

 

完全に山口を知った気になっていた。この山口駅のトイレができてから今日までここにトイレットペーパーは設置されなかったのだ。

今日私に絶望を与えるために!

 

 

私は髪をかきむしり神になぜ紙がないのかを問うた。返事はない。

諦め掛けていたその時、鞄の中にあの時のおてもとがあることを思い出した!

 

 

あの時残したおてもとの中のお手拭きは、今この時のために!!ありがとう世界。おかげで公然猥褻大学生として山口新聞の紙面を飾らずに済みそうだ。

 

 

備えあれば憂いなし。

 

 

おてもとあればわいせつなし。

 

 

 

③OZ

 

 

友達の家に泊まったのだが、そこでOZ(オズ)と言うマンガを読んだ。素晴らしいマンガだった。そしてこの感覚を思い出した。

 

 

マンガも本も映画も大好きなのに、忙しさにかまけてまとまった時間を取れていなかった。

こういった時間を大切にしようと思った。


 

 

 

 

 

④説明しすぎない美学

 

 

山口県は看板が少ない。瑠璃光寺も、五重塔も看板の説明は少ない。

 

 

漫画にせよ本にせよ、最近の作品には、発信者が登場人物のバックグラウンドまで細かく説明しているものが多い。発信者の責任が重い。

そしてデザインはわかりやすく目につくものが必要とされる。

 

 

しかし思い出してほしい。

 

 

スラムダンク桜木花道の家庭事情なんて誰が知っていただろうか。

そこには説明しすぎていないからこその美しさがある。

 

 

なぜならそこに「余白」が生まれるからだ。受信者側が勝手に妄想をするための「余白」が、作品に深みを与える。

事細かに説明することが本当に必要なのかどうかを、私たちは考えねばならない。

 

 

 

 

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綺麗な山々にもお別れを告げて、

新幹線に乗り込む。

ありがとう山口。また来るよ。

東京に帰る。